世界一周5日目 ベトナムで年越し
2016年12月31日。
人生で初めて、海外で過ごす大晦日を迎えた。
私にとって、大晦日とは、祖父母の家がある岐阜に帰り、明るいうちから酒を飲み、紅白だったりを見ながら、最後はゆく年くる年で新年を迎える。そういう、ある種の様式美とも言えるものが当たり前だった。だが、今年はベトナムだ。旅行中はなるべく早寝早起きをモットーとしている私でも、今日ばかりは日付を跨ぐ時間まで起きている必要がある。朝食のバインミーだけ食べたうえで再びベッドに戻り、昼まで寝ることにした。
さて、午前中は惰眠を貪ることしかしていないが、初日に食べたお店で、フォーをもう一度食べることにしよう。どうやら、ビーフシチューフォーという変わり種があるようだ。
ビーフシチュー自体は特段好きなわけではないが、これは美味い。ベトナムはダシの文化があるようで、ただのビーフシチューというもの以上の旨味がある。
フォーを食べ終え、クラクションが鳴り響くベトナムの喧騒の中を歩き始めた。初日に一通りの練り歩きを済ませていた私には、目的地があった。ベトナム戦争を構成に伝える、「戦争証跡博物館」だ。
私は、高校生の頃に一度、カンボジアのプノンペンを訪れたことがある。有志の学生10数名が集まって半年ほどカンボジアの歴史について学び、文化祭では募金を募り、そのうえで、学校に補助を貰ってスタディツアーという形で、初めての東南アジアを目の当たりにしたのだ。トゥールスレンという場所をご存じだろうか。ポルポトという時の為政者は、自らが起こした革命は学問は不要である、インテリは不要であるとして、眼鏡をかけているから、といった理由でインテリらしき人々の排除を行った。自らの革命が、思い通りにいかない理由は、反乱分子であるインテリがまだ潜んでいるからであると、思い込み、ある種の妄想を抱き、無実の人々を2万近く、トゥールスレンという強制収容所に送り込み、拷問、虐殺を行った。地獄ともいえる場所から、生きて出てくることが出来たののは、そのうちの8名だけであったという。そこで、私が見た、ポルポト政権下における虐殺の歴史を物語るそれらの場所には、重苦しい、、息苦しい、という言葉では表現しきれない空間があった。 (歴史認識に誤りがあれば申し訳ございません。訂正致します。)
カンボジアでの経験もあり、そして世界を見たいという今回の旅行の目的は、現在も過去も未来も、当然その対象であるから、今回ベトナムを訪れるにあたり、「戦争証跡博物館」は必ず訪れたいと思っていた場所であった。
特に写真を撮ろうという気持ちにもならなかったので、博物館の外にあった戦車の画像を貼っておくとしよう。小学生のころ、川を泳ぐ母子の写真を見たことがあった。枯葉剤の影響を受けた、ベムちゃんドクちゃんを知っていた。それだけだった。博物館を訪れたから、私が何かをできるわけでもないし、翌日からの私の選択が何か変わることも、きっとすぐにはないだろう。でも、訪れて良かった。“知る”ということが、まず大事なのだと、強く感じた。
その後は、周辺にあった観光地らしきものを回ったものの、心此処に在らず。疲れたので、道端で売られていたジュースを購入した。プラスチックの椅子に深く腰かけ、ベトナムの空気と音と匂いを感じながら、ゆっくりと飲む。こういう時間の過ごし方が、私は好きだ。とても豊かな時間だ。
歩き回って少し疲れたので、宿に戻って一休みすることにした。その日感じたことを思い返しながら、時間を過ごしているとスタッフに呼び出された。
1階に降りると、机いっぱいの料理が並んでいた。それを聞きつけた宿泊客が、次々と上の階から降りてくる。宿の主人らしき人が、今日は1日1杯のサービスであるビールを飲み放題にする、といった。1泊600円ちょっとの宿で、食べ放題に近しい食べ物と、飲み放題のビールが出てくるだなんて思いもしなかった。
ミンチの肉を固めて炭火で焼いたような料理を野菜で巻いて、ケチャップとチリソースを混ぜたようなソースにつけて食べる。まずいわけがない、ビールが進まないわけがない。隣の席にいたドイツ人に、この旅で一瞬ではあるもののドイツによる予定があったので、おすすめの料理を教わった。本当は店も聞きたかったが、寄る予定のない街の出身だったため諦めた。ビールも進み、宿泊者同士での会話も弾む。だが同時に、徐々に頭が回らなくなり、相手が何を言っているのか、良く分からなくなってきたしまった。適当なタイミングで、宿を抜け出し、年越し前を直前に控えた街の様子を見に行く。
そろそろ2017年が近づいてきたので、酒を飲みながら新年を迎えられるよう、適当な店に入る。既に日本は新年を迎え、両親からも連絡がきていた。
私のスマホとは、十数秒ずれたタイミングでカウントダウンが始まった。この際、時間が正確かどうかは、どうでもいい。「5,4,3,2,1、、、ハッピーニューイヤー!!」。クラッカーの音が炸裂する、金の紙吹雪が舞う、隣のカップルが熱いキスをする、スプレー缶から泡が噴出される、その辺の知らない人たちと乾杯をする。この瞬間だけは、少なくとも目に見える範囲にいた人たちの顔は明るかった。2017年を迎えた。
すぐさま、エリア全体がクラブと化した。私は日本でクラブなぞ、いったことがないが、これはクラブといって遜色ないだろうと思えた。煩い。楽しい。
泡が出るスプレー缶を売りさばく商人達が、嬉しそうな顔で練り歩いていた。いくらで仕入れているのかは知らないが、きっと余程売れたのだろう。
いま、私の、この目の前にある、“幸せ”が存する景色と、ベトナム戦争の時代を繋げて考えることが正しいのかどうかは分からない。昼間には貧困、乞食も時折見かけてはいる。でも、この目の前の、多様な人種が入り混じり、そして新年を祝い、微笑んでいられる時間があることは、正しいことだと思う。
こうして自分の中で、物事を考え、少しずつでも消化していける時間が、一人旅の魅力であると感じている。そんなことを考えながら、ホテルに戻り、明日も早起きをするために眠る。クラブミュージックが、煩い。