世界一周5日目 ベトナムで年越し
2016年12月31日。
人生で初めて、海外で過ごす大晦日を迎えた。
私にとって、大晦日とは、祖父母の家がある岐阜に帰り、明るいうちから酒を飲み、紅白だったりを見ながら、最後はゆく年くる年で新年を迎える。そういう、ある種の様式美とも言えるものが当たり前だった。だが、今年はベトナムだ。旅行中はなるべく早寝早起きをモットーとしている私でも、今日ばかりは日付を跨ぐ時間まで起きている必要がある。朝食のバインミーだけ食べたうえで再びベッドに戻り、昼まで寝ることにした。
さて、午前中は惰眠を貪ることしかしていないが、初日に食べたお店で、フォーをもう一度食べることにしよう。どうやら、ビーフシチューフォーという変わり種があるようだ。
ビーフシチュー自体は特段好きなわけではないが、これは美味い。ベトナムはダシの文化があるようで、ただのビーフシチューというもの以上の旨味がある。
フォーを食べ終え、クラクションが鳴り響くベトナムの喧騒の中を歩き始めた。初日に一通りの練り歩きを済ませていた私には、目的地があった。ベトナム戦争を構成に伝える、「戦争証跡博物館」だ。
私は、高校生の頃に一度、カンボジアのプノンペンを訪れたことがある。有志の学生10数名が集まって半年ほどカンボジアの歴史について学び、文化祭では募金を募り、そのうえで、学校に補助を貰ってスタディツアーという形で、初めての東南アジアを目の当たりにしたのだ。トゥールスレンという場所をご存じだろうか。ポルポトという時の為政者は、自らが起こした革命は学問は不要である、インテリは不要であるとして、眼鏡をかけているから、といった理由でインテリらしき人々の排除を行った。自らの革命が、思い通りにいかない理由は、反乱分子であるインテリがまだ潜んでいるからであると、思い込み、ある種の妄想を抱き、無実の人々を2万近く、トゥールスレンという強制収容所に送り込み、拷問、虐殺を行った。地獄ともいえる場所から、生きて出てくることが出来たののは、そのうちの8名だけであったという。そこで、私が見た、ポルポト政権下における虐殺の歴史を物語るそれらの場所には、重苦しい、、息苦しい、という言葉では表現しきれない空間があった。 (歴史認識に誤りがあれば申し訳ございません。訂正致します。)
カンボジアでの経験もあり、そして世界を見たいという今回の旅行の目的は、現在も過去も未来も、当然その対象であるから、今回ベトナムを訪れるにあたり、「戦争証跡博物館」は必ず訪れたいと思っていた場所であった。
特に写真を撮ろうという気持ちにもならなかったので、博物館の外にあった戦車の画像を貼っておくとしよう。小学生のころ、川を泳ぐ母子の写真を見たことがあった。枯葉剤の影響を受けた、ベムちゃんドクちゃんを知っていた。それだけだった。博物館を訪れたから、私が何かをできるわけでもないし、翌日からの私の選択が何か変わることも、きっとすぐにはないだろう。でも、訪れて良かった。“知る”ということが、まず大事なのだと、強く感じた。
その後は、周辺にあった観光地らしきものを回ったものの、心此処に在らず。疲れたので、道端で売られていたジュースを購入した。プラスチックの椅子に深く腰かけ、ベトナムの空気と音と匂いを感じながら、ゆっくりと飲む。こういう時間の過ごし方が、私は好きだ。とても豊かな時間だ。
歩き回って少し疲れたので、宿に戻って一休みすることにした。その日感じたことを思い返しながら、時間を過ごしているとスタッフに呼び出された。
1階に降りると、机いっぱいの料理が並んでいた。それを聞きつけた宿泊客が、次々と上の階から降りてくる。宿の主人らしき人が、今日は1日1杯のサービスであるビールを飲み放題にする、といった。1泊600円ちょっとの宿で、食べ放題に近しい食べ物と、飲み放題のビールが出てくるだなんて思いもしなかった。
ミンチの肉を固めて炭火で焼いたような料理を野菜で巻いて、ケチャップとチリソースを混ぜたようなソースにつけて食べる。まずいわけがない、ビールが進まないわけがない。隣の席にいたドイツ人に、この旅で一瞬ではあるもののドイツによる予定があったので、おすすめの料理を教わった。本当は店も聞きたかったが、寄る予定のない街の出身だったため諦めた。ビールも進み、宿泊者同士での会話も弾む。だが同時に、徐々に頭が回らなくなり、相手が何を言っているのか、良く分からなくなってきたしまった。適当なタイミングで、宿を抜け出し、年越し前を直前に控えた街の様子を見に行く。
そろそろ2017年が近づいてきたので、酒を飲みながら新年を迎えられるよう、適当な店に入る。既に日本は新年を迎え、両親からも連絡がきていた。
私のスマホとは、十数秒ずれたタイミングでカウントダウンが始まった。この際、時間が正確かどうかは、どうでもいい。「5,4,3,2,1、、、ハッピーニューイヤー!!」。クラッカーの音が炸裂する、金の紙吹雪が舞う、隣のカップルが熱いキスをする、スプレー缶から泡が噴出される、その辺の知らない人たちと乾杯をする。この瞬間だけは、少なくとも目に見える範囲にいた人たちの顔は明るかった。2017年を迎えた。
すぐさま、エリア全体がクラブと化した。私は日本でクラブなぞ、いったことがないが、これはクラブといって遜色ないだろうと思えた。煩い。楽しい。
泡が出るスプレー缶を売りさばく商人達が、嬉しそうな顔で練り歩いていた。いくらで仕入れているのかは知らないが、きっと余程売れたのだろう。
いま、私の、この目の前にある、“幸せ”が存する景色と、ベトナム戦争の時代を繋げて考えることが正しいのかどうかは分からない。昼間には貧困、乞食も時折見かけてはいる。でも、この目の前の、多様な人種が入り混じり、そして新年を祝い、微笑んでいられる時間があることは、正しいことだと思う。
こうして自分の中で、物事を考え、少しずつでも消化していける時間が、一人旅の魅力であると感じている。そんなことを考えながら、ホテルに戻り、明日も早起きをするために眠る。クラブミュージックが、煩い。
世界一周四日目 ツアーはもういいやと悟るメコン川クルーズ
ベトナムの朝。おはよう世界。
昨日予約したメコン川ツアーに参加するため、身支度を済ませる。集合場所はホテルのすぐ近くなので、まだ時間には余裕がある。一度、1階に降りて朝ごはんを食べることにした。
一泊800円ちょっとに朝食が含まれているということで、期待はしていなかったが、コーヒーとベトナム風サンドイッチ「バインミー」を作ってくれた。ホテルらしくない建物の1階で、ひとりバインミーを食べる。優雅な時間だ。世界は優雅な時間に溢れている。
さて、腹ごしらえも済んだので、集合場所へ。数台のバスが並び、ツアーの種類毎に次々と名前が呼ばれていく、がしかし、私の名前が一向に呼ばれない。集合時間はとうに過ぎてしまっている。聞き逃したのか、はたまた名簿に名前が反映されていなかったのか、分からない。点呼をしているスタッフにそのことを告げると、少し間を空けて、「とりあえずこのバスに乗れ」と言われたので、とりあえず乗り込む。予約したツアーかどうかは不明だが、メコン川には何とか行けそうだ。
途中バスが止まったと思ったら、どうやら寺院に立ち寄るようだ。ツアー予約するとき、そんなこと言われたっけと思いつつ、名前もわからない寺院に立ち寄る。
寺院での自由行動時間も終わり、いよいよ次はメコン川クルーズのはず。熱帯雨林的なとこを小舟で抜ける経験がしたくて、ツアーに参加したのだ。
しばらくして、バスは船着き場についた。
思っていたのと違った。確かにこれはメコン川クルーズであるが、これではなかった。とはいえ、もう乗るしかないので船に乗り込む。
15分ほどで一度船が停止した。どうやらお昼ご飯のようだ。
ガイドがでかい魚を持ってきた。エレファントフィッシュ(象耳魚)という魚だそうだ。変わったものが食べれて運が良いと思っていたら、課金する必要があるらしい。所詮、揚げた魚なので、味は想像できる。量も踏まえて、写真を撮れば十分だと思い、ツアー料金に含まれている貧乏飯を食べることにした。
また少しして、次の目的地に到着したようだ。上陸し、少し歩くと土産屋と飴工場のようなところについた。例によって、興味はない。小舟にも乗れないので、正直帰りたいくらいの感情だった。
工場見学を終え、ガイドに連れられ少し歩くと、待ち望んでいたものがあった。
イメージしたものだ。これに乗るためにツアーに参加したのだ。写真のお客さんたちもご満悦だ。
乗ってみると非常に不安定で怖い。水も、「くそ」がつくほど汚いので、転覆しないか不安になるが、漕ぎ手はそんなことは微塵も気にせず漕ぎ進める。
小舟タイムは10分弱で終了。あっという間だった。小舟を移動手段として東南アジアの自然に触れるツアーではなく、小舟に少し乗ってみるツアーに過ぎなかったようだ。もう少し真面目に参加するツアーを吟味すれば良かった。
その後は、ベトナム音楽を果物を食べながら、聴かされたり、ハチの巣を持ち上げたりと、盛りだくさんでツアーは終了。
ベトナムらしい渋滞に巻き込まれながら、日暮れ頃にホテルについた。暑い中の行動が続き、それなりに疲れたので冷房の効いたホステルで一休みして、新しい建物が立ち並ぶエリアへと向かう。
今日は12月30日、晦日だ。明日の年越しイベントに向けて、各所で準備が進んでいた。
さて、このエリアは小綺麗なお店が多く、あまり入る気にならなかったので、食事のためにホテルのあるエリアへと戻る。さすがにお腹もすいてきたので、目についたお店に入店。
基本的には、外に面したお店に入店する習性がある。夏の夜で飲む酒は、やはりうまい。
お腹も満ちたことなので、コンビニに寄って、今日は寝る。
もちろんツアーでなければいけない所も多いが、行動を縛られるので、今後は最大限自力で行くように努力しようと心に決めた。限られた時間の中で、なるべく自由にいきたい。
明日は大晦日、何をして過ごそうか。おやすみなさい。
世界一周三日目 ベトナムでバックパッカー気分に浸る
まだ眠り足りない。
頭の中で、カウントダウン。勢いをつけて、重い体を起こす、今日は起きなければならない理由がある。朝発の飛行機に乗って、ベトナムに向かうからだ。
散らかした荷物をまとめ、リュックに詰め込む。忘れ物をしたら、取りに帰ることは出来ないので、念入りに。
まだ台北の夜が明ける前、朧げな光に包まれるなか、重たいリュックを背負いバス停へと歩く。
学生時代、部活動をやっていた私は、週5日朝5時に起き、練習へ向かっていた。冬の時期に静かな朝を抜け、グラウンドから見る夜明けが、そして朝日が私の青春の情景の一つであった。この時間は好きだ。特別な気分になる。
台北駅から桃園空港まではバスで50分ほど。最近は成田エクスプレスにあたる電車が通っているので、早朝深夜を除けば、35分ほどでたどり着くことができる。
物思いにでも耽ろうかと思っているうちに、気が付けば意識は飛んでおり、空港についていた。寝れるときには、寝る。起きるべき時間を全力でいきるためには、重要なことだと思う。ただし、身の回り品には気を付けるなければならない。
さくっとチェックインを済ませ、搭乗ゲートへと向かう。旅行は進んでいく、2ヵ国目のベトナムへ。
今回乗るのはベトジェット。旅行の予算は約100万円。食費を切り詰めれば、必要十分な予算だとは思うが、食に人生の重きを置く私には、そんなこと到底できるはずもない。旅費を大幅に削る一番簡単な手段は、交通費を抑えることだ。そんな時にLCCは、旅行者の力強い味方であると思う。
あっという間の空の旅。ベトナムはホーチミンに到着。今回はこの国で年を越す、初めての海外での年越しだ。「ゆく年くる年」を見ずに年を越せるのだろうか。
飛行機の扉が開き、地上に降り立つ。日本とはもちろんだが、台湾とは空気が違う。飛行機から出た瞬間、或いは空港から出た瞬間、この異国の空気に、触れた瞬間が好きだ。
さくっと荷物を受け取り、空港を出る前にベトナムの紙幣を入手し、SIMカードの手配を済ませる。ちなみに1円が0.005ドンほど。多くの0が並ぶこの紙幣を、使いこなすことができるだろうか。
中心街に向かうバス停を探し、空港を出る。その瞬間、多くの人の目が私を捉えた。実際はどうか分からないが、少なくとも私にはそう思えた。家族の帰りを待つ人、ホテルの迎えを待つ人、そして、タクシーの運転手。カンボジア以来の東南アジアの雰囲気に圧倒されつつ、歩を進める。ひっきりなしに話かけてくるタクシーの客引き達の波を潜り抜け、ようやくバスに乗車することができた。
ようやくバックパッカー御用達のエリアであるブイビエン通りに到着し、ホテルを探す、が、まったく見つからない。辺りを見渡すが、目的のホテルらしきものがまるで見当たらない。ツアー会社のようなものがあるのみだ。すると、近くにいる小柄な若い男性が話しかけてきた。私は彼を客引きと判断し、強い警戒心を持って接した。恐らく彼にも、警戒していることが伝わるほどの対応だ。大きなリュックを抱えて、きょろきょろとしている日本人などカモでしかないのだから、そうせざるを得ない。
彼は流暢な英語で、「ホテルを探しているのか、それはスイートバックパッカーズインというではないか」といった。彼は私が探しているホテルのスタッフであった。何とも失礼な対応をしてしまった私を、笑顔でホテルに迎えいれてくれた。
結果的には、朝ごはん付き、更に夜には瓶ビール又はコーラを一本くれるサービス付きで一泊800円前後。スタッフは常に笑顔で接してくれ、立地もバックパッカー通りのど真ん中という最高のホテルであった。ホステルが大丈夫な人ならば、ぜひおすすめしたい。次にホーチミンに行く機会があれば、もう一度このホテルに泊まりたいと思えるホテルだった。
実は今回、基本的には予めホテルは予約しながら旅をしている。そもそも最安を求める必要はなく、観光する時間を考えたら、現地でのホテル探しの時間は惜しいと考えたからだ。期限のない旅であれば、いいのだが、私の旅行はそうはいかない。それに好条件のホテルは、大概埋まっているか、価格が上がっている。
荷物を一式、ロッカーに突っ込み、南京錠をつける。鍵をかけるといっても、貴重品は大概持ち歩くことになるため、ロッカーのなかには衣類程度しかないため、盗まれるリスクは低いだろう、否、盗まれたとしてもリスクは低いだろう。もちろん盗まれたら、困るのだが。
さあ、荷物も仕舞ったことだし、散策をしつつ食事に向かう。目的はフォー。ホテルまでのバスの車内で調べた、近くにあるという有名店に向かう。
歩いて5分ほど、ブイビエンのエリアの角っこにそのお店はあった。注文システムは分からないが、とりあえず空いている席に座ったらメニューを持ってきてくれた。とりあえず、上の方に載っているフォーと、タイガービールを注文。旅先だ、昼から飲んでいけ。
フォーーーは優しい味だが、間違いない美味さだった。唐辛子がトッピングについてくるので入れる。写真の右の方に浮いているものがそうだ。これが、失敗。食べるものではなかった。辛み、というより痛みに耐えつつ、フォーを食べる。正直、途中から味はわからなかった。
何とか食べ終え、ビールを流し込む。もう二度と唐辛子を食べないことを心に決め、街歩きをすることに。今日はもう、日暮れも近いのでホテル近辺のエリアを練り歩く。
しばらく歩いていると、お腹がすいてきた。昼は確実に美味しいものを食べてしまったので、夜は何かわからないものを食べるべく、レストランや露店を見て回る。
なんとなく、キレイなお店には入りたくない、観光客が多い店には入りたくないと思っていると、一心不乱に何かを焼き続ける男性が目に留まった。彼の丁寧な仕事ぶり、食事スペースのローカル感。決めた、ここにしよう。
やいた肉やマカロニを、左にあるタレにつけて食べるのだが、美味かったかと言えば、正直普通。だが、このローカル感のなかにいる時間はたまらない。食事をつくってくれた彼には「ごちそうさま」と言いたくなる一食だった。
アルコールのないお店だったので、1杯ひっかけにメインストリートへ。通りには同じようなカフェが立ち並び、そこら中で白人バックパッカーたちがビールを飲んでいる。
異国の地で、酒を飲みながら夜を過ごす。特にやることはないが、優雅な時間。日本は年の瀬だが、気温もあってかそれを微塵も感じない。
さて、明日は終日観光ができる。元気に行動するためにもそろそろ眠りにつく。
それでは、また明日。
世界一周二日目 台湾に来る理由は食べ台湾。
目覚まし時計をセットした時間に起きることはできなかったが、二段構えで設定をした起きたい時間には起床することができた。予定通りと言っていい。外国で迎える最初の朝だ。
旅行中はなるべく早起きをするように心掛けたい。早起きは三文の徳などと言うが、それは本当に文字通りか、それ以上のメリットがあるように思う。更に言えば、今回の旅で中盤頃に滞在するヨーロッパ諸国の日照時間は、それなりに短い。日の出と共に、といえば言い過ぎだが、充実した時間を過ごすためには早起きが不可欠だ。
朝の準備を済ませ、7時半頃にホテルを出た。今日は行きたい場所がある。
ホテルを出てすぐ、わざわざ周り道をしながら、目的地へと向かう。自分で言うのもなんだが、私は記憶力と方向感覚にはそれなりに自信がある。一度目的地までの道のりを地図で確認できれば、ほぼ迷うことがないし、わざと迷いながら目的地に着くことが出来る。
壁の裏側を見るために、わざと迷ってみることは旅行の醍醐味だ。大通りだけを、最短ルートだけを歩いたって、趣がないように思う。一本隣の通りには別の世界が広がっているかもしれないのだから。
さて、今日の目的地は台北の由緒ある寺の一つ、「龍山寺」だ。言うまでもないが、旅、もとい長期旅行の安全祈願に来たのだ。台北に来る度に来ているので、三度目の訪問である。
この龍山寺は観光客も勿論多く来ているのだが、それ以上に地元の方々が多く来ており、お経を唱えている。信心深い人が多いのであろう。
私が願うのは、「よい人やよい景色と出会い、よい経験をし、無事に日本に帰りますように。そして、日本で私の帰りを待つ家族が健康でありますように。」ということ。
私自身の健康や安全は、祈らない。長い間旅行をしていれば、体調を崩すことも、危険な目に会うこともあるだろう。だが、それもまた出会いであり経験だ。最後、無事に日本に帰り、美味い寿司でも食べることができれば百点満点といって良いはずだ。
一通り祈り終えた私は、朝ごはんを食べに歩く。たどり着いた商店街は、シャッター通りだが、夜は異なる顔を見せてくれるのだろうか。 そして、見つけたルーローファンを出すお店でご飯を食べることにした。
私は外食の際に、外に面したお店が空いていれば、ほぼ確実にそこに座る。周囲の人に見てほしいわけではなく、ただ単純に、眼前の空間が開けているという気持ちよさが好きなだけだ。
黒光りする卵もお肉もうまい。ご飯によく合う。ただ、別の場所で食べたルーローファンの方が格上であるように思ってしまった。旅行中の一食はギャンブル。ネットで調べる・地元民を信じる・勘を信じる、色んな方法があるが、なんにせよ最後の選択次第で、旅行の満足度は大きく変わる。食いしん坊の私の場合、尚更。
腹も満ちたので、台北駅まで歩く。歩くのは好きだ。その街の色んな景色が見えてくる。特に台北の朝は魅力的なので、ぜひ早起きをしてみて欲しい。とはいえ、台北駅まではそう遠くはない、気が付けば台北駅に到着。
さて、私が台北駅まで歩いてきた理由は一つ。臭豆腐だ。「食べ台湾!」という台湾グルメを調べるには最高なブログでお店は調べていた。よく日本のバラエティ番組などで、台湾を訪れると罰ゲーム扱いの臭豆腐だが、初めて訪れた際から、私は割と好きだった。臭いが好きというよりは、単純にその味付けが好きだというだけではあるが。
さて、臭豆腐を注文し席につく。正直、注文システムなんかわからないが、店頭で、指差しで「臭豆腐!ワン!」といえば、きっと何とかなる。
そして運ばれてきた臭豆腐。ブログを書きながらああもう涎がでてきた。
右側に見えるの白いのは、見た目じゃわからないが、キムチのようなもの。豆腐と一緒に食べると最高だ。
そして、この卓上調味料をつけていただく。実はかなり辛く、正直臭みはどうでもよくなる。カリっとした豆腐とシャキっとしたキムチに、ピリッとしたソース。ビールが最高に進む味。
朝としては、十分すぎるほどに食べた気がする。だが、台北には飯を食らいにきたのだ。まだまだ食べるために遠く離れた駅まで、歩いて向かう。昔、何かの番組で国分太一が絶賛していたチーローファンのお店だ。
しばらく歩き、お腹が空いてきた頃に、目的のお店が見えてきた。店の前に着いた時点でわかる。ここは、“あたり”だ。
もう、文字に起こすまでもないだろう。うまい。台湾の鶏はどこで食べても美味い。安すぎてついでに頼んだ角煮もうまい。派手な美味さではないと思う、確かな旨味。
お腹もいっぱいになったので、街を散策する。台湾には、まだまだ見ていない観光地は確かにあるのだが、いずれも少々時間を要する。今日は近場を見て回ろうと思う。
特に何をするでもなく、ビルに入ったりでたい、右に曲がったり左に曲がったり。そうこうしているうちに、夜は更けた。
今日の夜ご飯は、台北に来るたびに来ているお店。金峰魯肉飯だ。朝、満足できなかったので、思わず来てしまった。だが、外すことのない名店。
注文は決まっている、魯肉飯と卵だ。それに加えて乾麺を注文した。この店はテーブルについて紙に鉛筆で書くタイプ。台湾はそのタイプが多い。読めるようで読めないメニューをもとに、注文をするのも楽しいものだ。
美味い飯を食べると、自然と顔がほころぶ。うまい、うまいと頭のなかで喋りつつ、夜ご飯を食らう。気が付けば、今回のブログは“うまい”という言葉ばかりだ。そのことから、台湾の魅力を推察してもらえたらと思う。
さて、明日も早いので、早く寝る必要があるのだが、折角だ、まだまだ動こうじゃないか。というわけで、台北随一の絶景を見るために“象山駅”にやってきた。
ここから、少し歩いたとこにある象山歩道のうえに、その絶景はある。この階段は実にきついが、それだけの価値がある。ぜひ、後ろを振り返らずに登ってほしい。
何分経っただろうか、何段登っただろうか。わからなくなった頃、目の前には台湾随一の夜景が広がっていた。
絶景を堪能し、地上に戻る。下りは下りでつらい。膝にくる。なんとか駅に戻り、次の目的地へと向かう。そう、夜市だ。これなくして台北の夜は語れない。
さて、台湾に来たなら忘れられない料理の一つ、麺線を食べることにしよう。初めて食べたのは西門町の阿宗麺線。あの味が忘れられず、日本で食べられるところを探して、未だに定期的に食べている。
続けて食べるのは、「大腸包小腸」。米の腸詰で、ソーセージを挟む料理。様々な味付けが容易されており、熱々で食えばすこぶるうまい。食べすぎだと思う人もいるかと思うが、これでいいのだ。エンゲル係数の高い旅行は、大前提なのだから。
夜市の〆に、臭豆腐を食べに行く。人生ではじめて臭豆腐を食べた店。熱々の臭豆腐に、熱々のニンニクの効いたスープを入れ、そこにシャキシャキのキムチをいれて食べる。脳が叫ぶ、うまいと。
この豆腐を頬張るが、熱くてなかなか飲み込めない。ようやく食道に入ったかというタイミングで、ビールを流し込む。「人生はこのためにある」と思う瞬間は多々あるが、その一つと言ってもいい。
そんなこんなで夜市で数杯飲み、ホテルへ帰還。
明日はベトナムへ向かう。早朝便なので、早めに支度を終えて寝よう。
「俺の庭」状態の台湾を終え、世界一周旅行本格始動。はじめての国、はじめての味、はじめての人。それらを楽しみに、眠りにつく。明日は早い。
では、また明日。
世界一周初日 台湾でとにかく飯を食らう。
12月末。
いよいよ日本を発つ日がやってきた。
値段の安さから、朝早くのチケットを抑えていた。その前日何をしていたかといえば、そう宴会である。とはいえ別に壮行会なんてものではなく、ただの忘年会。学生時代を共に過ごした仲間達との宴会である。
酒の飲みすぎで寝過ごすとさすがに色々とスケジュールが崩れるので、適度に酒を楽しみ、深夜の東京駅発成田駅行のバスに乗車した。大学入学以来、夢に見続けた胸躍る世界一周の第一歩である。行先は「台湾」。これまで二回行ったことがある国なので、特に不安はない。俺の庭感覚だ。
偶然にも卒業旅行で博多に向かう学生時代の友人達が同じバスに乗り合わせた。いや、「偶然にも」というのは正確な表現ではないだろう。なぜなら彼らは本来ならば私と共に、台湾に行く筈だったからである。「でらの世界一周の一か国目についていこうぜ!!」と盛り上がったのが、11月の後半頃だっただろうか。しかしそこから、パスポートを持っていない奴が現れ、なんやかんやで時間を要しているうちにチケットの値段が吊り上がり、終いには、博多にいこうと言い出す奴が現れた。当然私は既に台湾行きのチケットを抑えている。
そんなわけで、私の友人との卒業旅行は成田空港までで終わり。博多行きの飛行機に乗り込む彼らを見送り、改めて、私の世界一周一人旅行が始まったのだった。
空港で夜を明かし、出発前に朝ごはん。何を食べるべきか迷ったが、リンガーハットのちゃんぽん麺を食べることにした。
空港で寝るというのは、実はそこそこ寒いので、ちゃんぽん麺の温かいスープが体に沁みる。今回の旅行は飯が美味そうな国であることも大きな基準としており、貧乏旅行ながらもエンゲル係数は高めていくことを決めていたので、食に困るつもりはなかったが、やはり日本食は美味しく、恋しくなることは目に見えていた。そんな時のために、リュックの中には、いくらかのインスタント味噌汁を仕込んでいる。
そんなこんなでいよいよ出発の時間が近づいてきた。
一人旅は初めてではないが、これから始まる75日間を思うと、否応なしに気持ちが高揚してくる。
朝8時過ぎ、ついに飛行機は日出国の大地を離れた。
機内での暇つぶしにkindleで、小田実の「なんでも見てやろう」を読む。旅行のはじめにこの本に出会ってよかった。詳しくは読んでもらえばわかる。せっかく、時間とお金をかけて、異国に向かうのだ。保身になど走らず、なんでもにでも飛び込み、見てやろうじゃないか。そう思いつつ、これから始まる日々に胸を膨らませた。
そういえば、これまた旅行の少し前に見た映画「LIFE」。これもまたよかった。LIFE社の社訓もまた、私に、この旅行に、大きな影響を与えたといえるだろう。
“To see the world, things dangerous to come to, to see behind walls, to draw closer, to find each other and to feel. That is the purpose of life.”
私の人生の目的はなんだろうか。そこまではまだ分からないけれど、強い好奇心を持って、世界を見ていこう。危険を恐れずいこう。壁の裏側を見てみよう。そして、人々との出会いを楽しみながらいこう。そう思わせてくれた映画だった。
(世界一周中一度、危ない経験をします。)
そんなこんなで、読書をしていたら、あっという間に台湾に到着。
三回目の台湾に降り立った。
初めて海外一人旅をした国だ。ご飯は何を食べても美味しく、人は親切で、適度な異国感がある。私のとても好きな国だ。
とりあえずバスに乗り、台北市内を目指す。予め申し上げると、私の英語力は中学生レベルだ。単語で意思を伝えることが基本となる。文章も言えなくはないが、正直減点法をされるとゼロ点になるレベルで、しっちゃかめっちゃかである。「あいわなとぅごーとぅーたいぺいすてーしょん」とはいうものの、日本人の私が空港で台北という単語さえ発すれば、行先は台北駅に限定される。簡単なものだ。
國光客運というバスに乗れば、間違いないと思う。ただ、最近は成田エクスプレス的なポジションの電車できたので、お金に余裕がある人はそちらを使おう。
このバスはもう何度か使っているので、見慣れた景色。なぜ台北にきたかというと、次にいくベトナムを元々最初の国として予定していたが、台北経由の方が安かったからだ。2泊だけして、うまいもん食って、去る。それだけである。
さて、ホテルに行く前にやることが二つある。それは、私が台北で一番うまいと思っている、いや、世界でも有数の美味いものだと思っているジャージャー麺を食べること、そして断髪である。
世界一周中は、基本的にドミトリーに泊まることになる。ドミトリーというのは一つの部屋にベッドが幾つも並んでいて、複数人が同じ部屋で眠るようなバックパッカー御用達の安宿である。部屋が共用ならば、当然トイレ・バスも共用だ。シャワーを浴びる時間ももったいないし、長々と浴びたくなるような環境でもないので、少しでも楽をするため、人生初の坊主頭にすることにしたのだ。
とりあえず、世界一の最高にうまいジャージャー麺を食べるために街を歩く。想像していた以上にリュックが重い。けど、バックパッカーデビューだ。自然と顔がにやけてくる。俺はバックパッカーだ、トラベラーだ。
ジャージャー麺を食べに店にいくのは三度目だが、やはり迷った。こういうときに、グーグルマップのありがたさを再認識させられる。インターネットがない時代の旅人には頭が上がらない。
目的の店の名前は「老牌牛肉拉麺大王」。拉麺の大王だ、まずい訳がない。注文は「ジャージャーメン、ダオワン」で通じるはずだ。そこそこ量があるので、小食な方は「ジャージャーメン、シャオワン」と言おう。大椀、小椀だ。
そして出てくるのがこれ。「なんだ、ただのうどんじゃないか」といったのはだれだ。楽しみにしすぎて出てきた瞬間がっついてしまったので、見えなくなってしまったが、肉がたくさん乗っていて、麺そのものがとてもおいしく、そしてパンチの効いたニンニクスープが食欲をそそる。更に卓上にある多様な調味料を加えていくと七変化をしていき、気が付けば麺がなくなっているという、悪魔的な食べ物だ。ニンニクの攻撃力と圧倒的な中毒性から、「台湾の二郎」と私は呼んでいる。
一瞬で完食し、荷物を置きにホテルへと向かう。ちなみに上の写真で髪の毛を切っているのは、無論私ではない。
実は自分が坊主になったときの写真がないのだ。この旅行の後悔があるとすれば、もっと自分を写せば良かったということと、アクションカムを持っていけばよかったということ。そんなわけで、私は坊主頭になった。これで固形石鹸だけで全身を洗える。
そんなこんなで最初のお宿についた。「DUCKSTAY HOSTEL」若者受けの良さそうなおしゃれな作りで、ベッドにも一つ一つカーテンがついていたので、カプセルホテルに近いようなドミトリーだった。これで一泊800円は安い。場所は龍山寺という観光地の近くで朝早くから色んなお店がやっているので、なかなか便利だ。
荷物をざっくりとおいて、夜ご飯を食べにいく。台湾の夜ご飯といえば、夜市が最高だ。一番有名なのは士林夜市という夜市だが、今回は宿の近くの南機場夜市に向かってみることとする。
台北市内にはいくつも夜市があり、どこも特徴があって飽きない。毎晩お祭りがやっているようなもので、非常に楽しい。東京にも毎晩営業している屋台街があればいいのに。
何を食べようかと彷徨っていると、明らかに集客力の高い店を見つけた。地元民が集まる店がまずいはずがないということで、とりあえず座ってみる。
水餃子のお店だったので、とりあえず水餃子を頼む。あと、日本の中華料理屋でもよく頼む酸辣湯麺の麺なし、つまり酸辣湯があったので、注文。
地元民を信じた俺に拍手を送りたい。あつあつで美味い。台湾の飯は本当に美味い。食い倒れ最高だ。店名は忘れてしまったが、南機場市場のメインの通りから一本入った場所にあるけど、そう広くない夜市で、遠目に見ても人だかりが見えるから、問題なくたどり着けるかと思う。いつか再訪したいお店だ。
ただ、元スポーツマンで大食漢の私には、食い倒れと呼ぶにはまだ物足りない。ということでふらふらと夜市を歩いていると大行列を作るお店を見つけた。スープ系で、鶏系という情報を理解した時には、私はもう既に列に並んでいた。
そして、出てきたのがこれ。なに。
よくわからなかったけど、うまかった。中にある鳥は骨が多く頑張って食べていたのだが、周りの地元民たちは、その骨を次々と机の上に出していた。なるほど、そういう食べ方があるのか。見よう見まねで完食し、〆のスープを終えた私はホテルへと戻ったのであった。
そして、坊主の楽さと世界一周が始まったことを噛みしめながら、眠りについた。
世界一周初日、終了。
自己陶酔して何が悪い
バックパッカースタイルで旅に出ることは決めていた。
「深夜特急」のような旅に憧れを持っていたことは勿論だが、ツーリストではなく、トラベラーとして旅行に臨めるのではないかと期待したからだ。
世の中では、身の回りでは日々あらゆることが起きるが、それらを変えることは殆どの場合において難しい。しかし、それらをどう受け取るか、それらに対して自分がどう行動するかは、容易に変えることが出来る。旅行中にも色んなことが起こるだろうが、それをどのように捉え、どのように活かすかは自分次第だ。自分のモチベーションは自分であげる。その為にも、トラベラーとしての自分に酔いしれ、テンションを上げていこうではないか、という訳だ。
旅行に向けて、必要なアイテムを揃える作業は、テンションが上がる。そして、金がかかる。
そうだ、金の話をしよう。
当時の私は大学四年生。自慢ではないが、バイト代は月々3-4万円程度。しかも、就職活動を機に辞めてしまった。学生時代にバイトをすること自体にも、疑問があったのだが、長くなるのでまた別の機会でその疑問については述べるとする。そんな低所得者である私がどのように世界一周の旅に出たのか。お察しの通り、親の脛を齧ったのだ。ある意味ではバイト代とも言える。親の脛をバイト。
大学入学当初から、4年生になったら、長期旅行に行きたいことは伝えたいたが、大学3年生の頃に改めて親に伝えた。そして、就職活動を経て、返済可能な所得が担保されることを示した場合には、100万円を無金利で貸し付けるという話を取り付けたのだ。学生時代の収支なんて、マイナスで良い。(但し、返す前提で借りたならばきちんと返そう。)
そして、親の脛は齧れるうち齧っとけのメンタルでバックパッカースタイルで旅をするにあたって必要な品々を買いあさり、旅に備えたのであった。細かい装備とか、世界一周にお勧めアイテムとかは、他の人のブログをぜひ読んでくれ。
世界一周の旅にでるぞ!
「世界一周の旅に出る。」
というと聞こえはいいが、歩いて回るわけでも、自転車で回るわけでも、超貧乏旅行をするわけでもないのだから、期間の長い旅行だ。世界一周旅行だ。
それまでの海外経験は、
・記憶のない香港
・家族旅行のグアム
・高校の研修でいったカンボジア
・初の海外一人旅の台湾
といったところで、行ったことはある程度のものであった。
それが今回は、わずかに75日ながらも、“世界一周”旅行である。
生き方なんて人の数だけある。幸せだって人の数だけある。
今思えば、それを実感するために、旅に出たのだと思う。
まずは、薄れつつある旅行の記憶を、記録にしていきたいと思う。
とはいえ、それのためのブログなんてことはないので、またどこか行ったときや何かを買ったときには、適当に書き記していく。
そんな感じで。